美冬20年を振り返る

「美冬(みふゆ)」が発売された2005年は
札幌のみの取り扱いでした。
それから20年。
多くのバリエーションが生まれました。

ブルーベリー、キャラメル、マロン、3種の味が一箱に詰まった「美冬(みふゆ)」は、2005年に生まれました。
発売当初はたくさん作ることができない商品だったので、地元札幌の百貨店を中心に販売していました。
その後、新千歳空港のお土産物店での販売がスタート。北海道のお土産として人気を高めていきました。

2014年には、抹茶フレーバーのバリエーションが誕生。
その後、次々と新しいフレーバーが生み出されていきます。レギュラーの「美冬(みふゆ)」は、
美しい冬の情景を表現したパッケージですが、
これら期間限定の商品はまた別のコンセプトを持っています。
ときに和テイストだったり、ケーキをイメージさせるものだったりと、
味に合わせて時代に合わせて、さまざまに変化していっています。

そしてこれからも、「美冬(みふゆ)」は、チョコレートが大好きなみなさんと一緒に、
新しいチョコレートの味にチャレンジしていきます。

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ISHIYA「美冬」20周年
レジェンダリーインタビュー

セールス編 
時代とともに駆け抜けてきた
「美冬」の歩み

20年前、生まれたての「美冬」を大きく羽ばたかせるために、
どんな苦労や工夫があったのでしょう。
だれも知らない「美冬」を
どう売り出していったのか。どのように成長していったのか。
「美冬」の様々な時代を知るスタッフたちが語り合いました。

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パーク事業部 エクスパート

伊藤 大輔さん

販売部 マネージャー

吉田 祐樹さん

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販売部 ISHIYA札幌大通本店

小笠原 千笑さん

待望の新商品が登場

小笠原 2005年に「美冬」を最初に販売したのは、直営店ですね。
伊藤 そうです。2月のバレンタイン商戦に向け、新商品の「美冬」とリニューアルした「雪だるまブラザーズ」を発売し、直営店で通年販売しますとプレスリリースを出しました。「ついに新商品が出ました!」と力が入ったことを覚えています。

小笠原 新千歳空港の売店での販売はいつから?
伊藤 1年間は直営店だけで、2006年2月1日から本格的なお土産菓子として、新千歳空港の6店舗で発売することになりました。その日はテレビの密着取材もあり、私が商品を車に積み込んで空港まで届けるシーンなども放送され、すごく注目が集まっていました。それから、新千歳空港の販売店を増やし、徐々に函館や旭川など、地方へ販路を広げていった感じです。
小笠原 順調な滑り出しのようですが、苦労したことはありましたか?
伊藤 一番苦労したのは、ISHIYAというブランドが世の中に浸透していなかったことです。「石屋製菓の新商品」といっても通じない。販促用ポップに「『白い恋人』の石屋製菓から」と書いて、やっとわかってもらえました。当時はポップも私たち販売部がパソコンで手作りしていたんですよ。何とか「美冬」のおいしさを伝えよう、「美冬」のブランドを育てよう、とみんな必死だったと思います。
吉田 売り場でいかに目立たせるか、お土産店を回って陳列方法をお伝えしていましたよね。箱を平らに積むとパッケージが目立たないので、「立てて並べてください」とお願いして。このやり方は今も受け継がれていると思います。
小笠原 私が入社した2016年に「美冬」はもう定番商品で、お客さまへの説明もほぼ出来上がっていましたが、こうして見ると、伊藤さんが昔作ったポップやプレスリリースと基本は同じです。当初のコンセプトがずっと受け継がれているんですね。

2014年以降、
フレーバー展開をスタート

小笠原 最初のフレーバー「抹茶」を発売した経緯は?
伊藤 2010年代に外国人観光客が爆発的に増え、国際線の売店で「白い恋人」も「美冬」も売れていましたが、もう少しアイテムを増やしたいと考え、「じゃあ『美冬』で新しい味を試してみよう」となったのが開発のきっかけです。2014年に「抹茶」を発売したところ通常の「美冬」よりも圧倒的に売れて、九州や沖縄など全国の空港を飛び回って販売店を広げました。先方から声をかけていただくことも多くなり、「美冬」が北海道だけでなく、日本のブランドとして認められた時期だったと思います。
小笠原 それからいろいろなフレーバーが生まれたんですね。私は個人的に「ジャンドゥーヤ」が好きでした。
吉田 「ゆず」も好評でしたよね。
伊藤 「抹茶」の次に、和食をイメージさせる「ゆず」を発売しました。私はゆずが苦手なんですが、どこへ持っていっても評判が良かったです。「美冬」は国際線限定や季節限定など、いろいろなバリエーションが楽しめることも大きな魅力になったと思います。
小笠原 2017年には北広島工場が完成、「美冬」の製造ラインも新しくなりました。
吉田 新工場で製造量が増えるのに合わせ、販売部では再度、全道の販売店拡大に乗り出したほか、複数のアイテムを陳列しやすい什器(商品の陳列棚)を考案したり、店頭の並べ方のアイデアを出したり、常に工夫を重ねてきました。
伊藤 自分たちで売り場をどう作っていくか、考えながらやるしかないし、それが一番楽しいです。

数々の困難を乗り越えて

小笠原 2020年からのコロナ禍や、2023年の鶏卵不足の頃、私は札幌市内百貨店の直営店の販売担当で、売上は連日涙が出るほど低い時期が続きました。そのなかでも地元のお客さまが来てくださって、本当にうれしく思いました。また、「美冬」は材料に卵を使っていないので、「白い恋人」が品薄のときに一番の看板商品になってくれて、地元で愛されていることを再認識しました。
吉田 私が国際線の販売を担当していた時、コロナ禍で観光客がいないので、もう何もすることがなかったんです。そこで特別に「皆さんが北海道に来られないので、私たちが行きます」と東京駅や名古屋駅など各地で催事を企画し、何とか乗り越えてきました。そこでも「美冬」を売り場のメインに組み立てることが多かったです。

小笠原 そのほかに、最近の苦労といえば夏の猛暑でしょうか?
吉田 2023年の夏は特に大変でした。新千歳空港は冷房の空調設備が追いつかず、表面のチョコレートがはがれてしまう問題が発生したため、翌年は空港の全売店で9月末まで「美冬」の販売をお休みしました。観光最盛期なので苦しい決断ではありましたが。
伊藤 「白い恋人」より「美冬」のほうがチョコレートの溶ける温度が低いんですよね。これは引き続き対策を考えなければいけません。
小笠原 では最後に、これから「美冬」をどう成長させたいですか?
伊藤 「美冬」は今もたくさん売れる素晴らしい商品なんですが、「白い恋人」と比べるため、社内評価が下がってしまう傾向があります。このマイナスイメージを払拭し、「美冬」の良さを改めて認識してた上で、さらなる成長を目指したいと思っています。
吉田 そうですよね。国際線の売店で「美冬」はかなりの売れ筋商品です。国内に数あるミルフィーユ菓子の中で、僕は「美冬」が一番おいしいと思っています。これは正直な気持ちで、そう思うからこそ、「美冬」をまだ知らない北海道民の皆さんには、ぜひおいしさを知っていただきたいと思います。
小笠原 季節限定フレーバーを楽しみにしてくださるお客さまも多いので、今後もいろいろな味に出会えることを、私も楽しみにしています。同時に、お客さまの声を素早くキャッチし、それを反映した「美冬」を作りたいとも思います。世の中に新しいトレンドを作り出すような商品になればうれしいです。今日はどうもありがとうございました。これからもがんばりましょう!

お土産物店から

スノウショップ株式会社 
代表取締役社長

廣重 秀格さん

「美冬」が新千歳空港のお土産ショップ「スノウショップ」で販売されるようになったのは2006年のことでした。当時の担当営業さんはISHIYAの伊藤大輔さん。最初、伊藤さんが持ってきた「美冬」にはびっくりしました。まずはそのネーミング。「美しい冬」というイメージは伝ってくるものの、なんとも謎めいた斬新な商品名でした。そして、北海道の冬らしいキラキラ輝くパッケージにも驚きました。
このまったく新しい商品をいかにアピールするかということを、営業さんと一緒に考えていきました。現在は白い恋人と同じ棚に並んでいますが、発売当時は、より「美冬」のイメージが際立つように別のコーナーに陳列しました。このLED照明を使った専用のディスプレイは、今でこそよく見かけますが、当時としては斬新なものでした。
スノウショップは、全体的に青を貴重とした店舗デザインです。そして、2016年12月の改装のときには、美冬の包装紙のデザインを使った壁紙を採用しました。ISHIYAの商品はスノウショップに行けば買える、そんなイメージを打ち出したかったからです。 競争の激しいお土産物の世界で20年売れ続けるということは大変なことです。「美冬」はこれからも色々な味にトライして、一歩、二歩先をいくフレーバーを出して、「白い恋人」にはない魅力を発信していってほしいと思います。

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